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 东北大学へ入学した皆さん、诚におめでとうございます。本日ここに、学部生2,529名、大学院生2,526名、合计5,055名の新しい仲间を迎えますことは、私ども东北大学一同にとり、大きな歓びであります。东北大学を代表して、皆さんの入学を心より歓迎いたします。また、皆さんの勉学を今日まで支えてこられたご家族や関係者の皆様に対し心より祝意を表します。そして、皆さんには、これまで献身的に支えてくださったご家族や関係者に対する感谢をどうか忘れないでいただきたいと思います。

 东北大学の一员となられた最初の日に、まず东北大学がどのような大学であるかについて、お话ししてみたいと思います。
 东北大学は、江戸时代中期の1736年に仙台藩の藩校として设置された「明伦养贤堂」を前身とし、明治40年(1907年)に、日本で叁番目の帝国大学として建学されました。本学は时代のフロントランナーとして、「研究第一主义」の伝统、「门戸开放」の理念及び「実学尊重」の精神をもとに、研究の成果を人类社会が直面する诸课题の解决に役立て、指导的人材を育成することによって、平和で公正な人类社会の実现に贡献してきました。世界の贤人である鲁迅は、この学都仙台の地で学び、かのアルバート?アインシュタイン博士は、「仙台は学术研究に最も向いた都市であり、恐るべき竞争相手は东北大学である」と语ったと言われています。东北大学は100年余も前から世界に开かれたグローバルな大学として、常に新たな时代を切り开いてきたのです。

 このような歴史と伝统をもつ东北大学も、昨年3月11日の东日本大震灾では甚大な被害に见舞われました。本学キャンパス内では安全が确保され人的被害はありませんでしたが、自宅等で学生3名の尊い命が夺われました。また、施设?设备が损壊?损伤し、一时は教育研究机能が停止する危机的状况に陥りました。しかし、そのような状况においても、私たち东北大学は、被灾地の支援?復兴の中核として、なし得ることから実行してきました。
 本学の教职员は、地震発生直後から一丸となって、学生の安否確認と大学の機能復帰作業にあたりました。大学病院では、医療支援チームや物資を被災地に送り続け、避難所の長期的な診療体制を整備してきました。災害科学の専門家としての情報発信や放射線モニタリング、塩害調査、ロボット工学技術の提供など、様々な災害救援活動でも奮闘してきました。さらに、学生諸君は、散乱した附属図書館の書架整理や研究室の片付けなど大学の復旧活動を支えてくれるとともに、被災者の苦しみ、痛みを敏感に感じ、被災が甚大な沿岸地域等でボランティア活動を展開してくれました。
 东日本大震灾の惨祸から一年余の歳月が流れ、东北大学の教育研究机能は、幸いにもほぼ震灾前に復しました。一方、东北全体に目を転じますと、復兴への道は、瓦砾の処理もままならず、その绪に就くことすらできていない状况です。东北大学は、歴史上かつてない世界的灾害を现场体験している唯一无二の総合大学として、この厳しい状况の中でも立ち止まることなく、东北の復兴、そして日本の新生を先导する歴史的使命を果していかなければなりません。
 その第一歩として、「东北大学灾害復兴新生研究机构」を设置し、灾害科学国际研究推进、地域医疗再构筑、环境エネルギー、情报通信再构筑、东北マリンサイエンス、地域产业復兴支援、復兴产学连携推进の7つのプロジェクトに加え、180を超える復兴アクションの取组を开始しました。东北大学は、これらの先导的な研究の推进とともに、世界で活跃できる指导的人材の育成に努めていきたいと考えています。
 そして同时に、ワールドクラスの教育研究拠点として、国家や地域を越えて、资源枯渇や环境破壊、人口问题、食粮危机、パンデミックなど、次世代のために解决すべき课题に答えを示すべく果敢に挑戦し続けていきます。

 ところで、「3.11」は、もう一つ深刻な问题を私たちに突きつけました。本当の意味でのリーダー不在が表面化したのです。多くの国民が、想定外を言い訳とする日本のリーダーや専门家の発言に愤りました。既存の政治机构が未来のビションを示すことができず机能不全を起こしているのも目の当たりにしました。粗雑なリーダーはまさに「百害あって一利なし」です。しかしこのことは、ひるがえって考えてみると、大学は社会全体の舵取りを见误らない冷静で贤明なリーダーを育ててきたのか、という厳しい问いかけにもなっています。
 失われた20年から「9.11」、そして「3.11」と、百年に一度のパラダイムシフトと言われる大きな転换期を迎える中、私たちは、世界に贡献する高い志をもち、强固な精神力とたくましい行动力で次の时代を切り开くリーダーを必要としています。
 我が国はこれまでも明治维新や败戦などの试练を乗り越えてこの国を形作ってきました。そして、いつの时代も危机的状况を逆にチャンスに変えて社会を発展させてきたのは、若いイノベーター(変革者)の力です。皆さんの大半は、失われた20年と言われるバブルの终焉のころに生を受け、大震灾后にこの仙台の地にある东北大学で学ぶこととなった、ある意味でこれらの困难を引き受けることを歴史的必然の中で运命付けられた世代ともいえます。我が国がそのまま衰退に向かうのか、辉きを取り戻すのかのこの时期に、皆さんが东北大学で大きく成长し、本学の学生歌にある通り、「国の础」となる真のエリートやリーダーに育ってくれることを愿ってやみません。
 これから皆さんが学ぶ东北大学は、社会の要请に応え得る人材を育成するため、変わらぬ理想とともに、変わり続ける勇気をもって挑戦を続ける大学です。朝日新闻社の大学ランキングで、东北大学は七年连続で「総合评価」日本一、また、高校の先生から见て「进学した生徒が伸びた」も五年连続日本一の高い评価を受けています。しかしこのような东北大学も现状に満足することなく、人间力あふれる社会のリーダーを育成するため、その素养の土台となるリベラルアーツを充実させ、社会の要请に応えるべく変革を続けて行かねばならないと考えております。
 しかし、大学が様々な改革を行っても、それを皆さんが座して待つ姿势であれば改革の意味はなくなってしまいます。また、リーダーになるということは、报われないことを覚悟で人一倍大きな责任を担うことができる、「公共の事柄」に思いを致す志の高い人间であるということを当然の前提としています。ここで私が申し上げたいのは、真のリーダーを目指す机会を活かせるかどうかは、皆さん自身の中にあるということです。皆さんには学问を真挚に学び、弛まぬ努力によって自らを全人格的にわたって锻え続け、将来の飞跃への基盘を创り上げていただきたい、そう切望します。本学の特徴である多彩な课外活动もまた、他者と心を通い合わせ、自己の可能性を引き出し、果敢にチャレンジする强靱な気力?知力?体力を育む良い机会だということを、どうか忘れないでいただきたいと思います。
 良き自己を创ることが良き社会を创ることにつながります。幅広い教养を身につけ、奥の深い研究を行い、存分に课外活动にも励んでください。

 さて、皆さんはこれから歩む新たなステージにおいて、期待や意気込みで胸が高まる一方、不安や戸惑いをもっているかもしれません。もう45年も前になる私自身の入学式を思い出しても、新しい生活のスタートはそのようなものだと思います。私は、1967年4月に冲縄県から东北大学(医学部)に入学しました。当时の冲縄はアメリカの统治下にあり、国费留学生の立场でした。东北は私にとっては全く知らない土地で不安もありましたが、东北特有の様々な习惯、ものの考え方に触れることで、我が国がいかに広くて文化の多様性にあふれているかを身を以て感じることができ、今から振り返ると、その后いろいろなことを考える上で役立ったと思っています。よく言われるように人生は筋书きのないドラマなのかもしれません。卒业后は郷里に帰ることを考えていた私でしたが、多くの友人や同僚に支えられながら试行错误を繰り返していくうちに、いつしか仙台や东北の地に溶け込み、自分の居场所を见つけ、今では言叶までが东北讹りとなり、すっかり东北の人间になりました。
 皆さんの人生にも筋书きのないドラマが展开されるはずです。何かをすると、ときには间违うこともあります。そんな困难に直面したときに皆さんの支えになるのは、人生の师や友人、良きライバルです。「友だちは第二の自己である」は、「万学の祖」とも呼ばれる古代ギリシャの哲学者、アリストテレスの言叶です。人は一人では生きていけません。皆さんがこれからの学生生活の中で、生涯の师、友人と出会い、人生をより豊かに生きられんことを愿っています。

 东北大学は、世界各地から多くの留学生を迎えています。留学生の皆さんには、言叶や生活习惯の壁を克服し、本学で学ぶ决意をした志を忘れず、目标を达成していただきたいと思います。そして、多くの友人と亲しみ、本学で学んだ成果を活かすことで、皆さんの母国と我が国が太い友情の绊で结ばれるようにしていただければと思います。

 最后に改めて、皆さんがこの緑豊かなキャンパスで、良き师、良き友と出会い、たくましく成长されることを祈念して、私の式辞といたします。
 本日は入学おめでとうございます。

 

平成24年4月5日   东北大学総长   里 見   進   

(於:仙台市体育馆)   

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